二人称の「死」を考えるとき
昨年末に行った研修は「在宅での看取り」について。
その中で講師の方が話していたのは、
「一人称、二人称、三人称の『死』の捉え方はまるで違う」という事。
「看護師は家族でもなく、他人でもないので、
2.5人称の死と考えるべき」とも。
二人称の死は考えたくない?
確かに自分が死ぬ事と、親戚が亡くなる事と、知らない人が亡くなる事は
大きく違います。
殺人事件や事故などで三人称の死は日常にあふれています。
あまりにもあたりまえの事なので、
その「死」にはあまり感情がないのが普通なのではないでしょうか。
一方、一人称の死。
最近、「エンディングノート」等その考え方は少しずつではありますが、
機会が広がっている様に思います。
「自分が死ぬときはこうして欲しい。」
そんな考えをしっかり持っている方も増えてきているのではないでしょうか。
この話を聞いた時に強く感じたのが、
「二人称の死を考えるときは極端に少ない」という事。
ここで言う二人称とは家族などの身近な人物。
自分の死を考える事はあっても、
家族の死を考える事なんてあまりないのではないでしょうか。
あえて考えない様にしているのかも。
もし配偶者が癌になったら?
もう13年程前、私が看護学生の時、
「癌の告知」についてアンケートをとった事があります。
3年生の時に研究(学生のする事だから大した事ないです)を
しなくてはならないのです。
「もし癌になったら告知して欲しいですか?」という質問に対し、
80%以上の方が「はい」と答えました。
しかし、「もし配偶者が癌になったら告知しますか?」という質問になると、
たしか5,60%前後まで下がったような気がします。
(詳しい数字は忘れました…。)
自分の身に何か起きたら…という状況は考えやすいのですが、
家族に起きた時にそれが自分のものとしては捉えにくいようです。
だから、悩むんですね。
「この人はどう考えるだろうか…」と。
やっぱりコミュニケーション
先ほど書いた様に、
自分の最期を考えたり、「エンディングノート」を実際に書いたりする方は
増えている様に思います。
ただ、それは自分自身だけで完結している方が多いでしょう。
その「エンディングノート」誰にも見せず、
タンスの奥にしまっちゃうのではないでしょうか。
できれば、それを広めて欲しい。
家族に見せる時に、自分の想いを語って欲しいのです。
癌告知でも、延命治療でも、最期を迎える場所でも…。
家族が悩む機会って実はとても多いものです。
そんなとき、「死に対する想い」を少しでも知っている事で、
考え方のベースが出来るのだと思います。
そんな機会があればぜひ。
家族を悩ませないためにも。
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