先日こちらでご案内した通り、羽帯駅が最期の日を迎えました。
多くの方に見送られた最後の日
平成30年3月16日、60年の歴史を終え、静かに駅名が消えました。
清水町観光協会の主催で行われた「さよならイベント」。
多くの方にお越し頂き、とても賑わいました。
この時のために「羽帯駅グッズ」を作成してくれた業者さんがおり、テントの前は人だかり。やはり鉄道を愛する方は思い入れが違うのですね。プロだけあって、作品の完成度も高いです。
この日のためにスタンプまで作ってあり、思い出に押していった方も多かったようです。なんと羽帯駅まんじゅうまでありました。この駅でまんじゅうが売れたのは最初で最後だったと思います(笑)。
最後の日ということでマスコミも続々。地元の十勝毎日新聞はもちろん、北海道新聞、毎日新聞、それにNHKやSTVなどのテレビ局も取材をされていました。この男の子、手作りでポスターを作ってきたのでいろんな方に取材されていました。明日、ちょっとした有名人ですね(笑)。
16:55、皆様に見送られながら帯広行きが発車しました。
一つの駅が消える意味
さよならイベントでお手伝いをしていると、送迎バスから降りてきた1組のご夫婦がいました。70代後半と思われるのご高齢の方です。両方に杖を持ち、ややおぼつかない足取り。バスから駅まで多少歩く必要があるので、ちょっとした見守りをしながら。
奥さんが先ほどの「羽帯駅グッズ」や「清水町特産品」を見ている間、駅のそばで立っていました。風も強く、寒さも厳しかったので、バスからのお見送りをご提案しました。お二人は足下の悪い中、ゆっくりと戻っていきました。
聞くと、この近所で50年程住まれていたとのこと。廃止になると聞き、最後は自分の目で見たいとわざわざお越し頂いたのです。とうの昔に巣立った娘さんが学生の頃、毎日利用されていたそうです。
どのような思いで、最後の列車を見送ったことでしょう。年齢から想像するに、40年以上前のことだと思います。
恐らく羽帯駅にきたのも相当久しぶりなはず。それでも駅の風景はほとんど変わっていなかったと思います。
雨の日も雪の日も、その娘さんはこの駅を利用されたのでしょう。そんな毎日を思い出しながら、感慨深く眺めていたに違いありません。残念ながらその娘さんはいらしていませんでした。北海道にすら、いないのかもしれません。
以前は栄えていた駅が利用客の減少と共に廃止となる…。北海道は特に車社会ですから、列車の利用客は減少の一途をたどります。続々と駅が消滅してくのは、時代の流れで仕方がないことだと思います。一つの駅を存続させておくだけのコストを考えれば、感情論だけで太刀打ち出来ない状態にあるのは当然です。そして、この流れはどんどん加速していくことでしょう。駅だけにとどまらず、線路自体の廃止も。
思い出がたくさん詰まった場所が消えていく…。分かっていることとは言え、寂しいものですね。
羽帯駅のこれから
今日で一つの歴史を終え、羽帯駅はなくなりました。近日中、予定通りホームが撤去されると思います。
どなたかが「何か記念碑を作ったらいいんじゃない?」と役場職員に提案していました。実現するかは分かりませんが、それもいいのかもしれませんね。せっかくなので、ぽつんと建つその風情を残してあげられたらとも思います。
この小さな駅を見守っていた地元の方、JRの職員さん、今までありがとうございました。