おもてなしいろいろ

「人の最期」を応援したい

ちょっと今回のコラムは重いです。
でも私がずっと考えていること。

「人の最期」を応援したい
私は、看護師になる前から「死」に関心がありました。最期を迎えるお手伝いがしたいと考えていたのです。それは、現場に出ても変わらず、希望であった緩和ケア病棟(ホスピス)で働く事も出来ました。旅立とうとする多くの方の声を聞き、見送る方々のお手伝いをさせて頂く、大変さもありましたが、大きな感動もありました。
様々な方の「最期」を見ていると、今の人々の日常生活から「死」という体験が、あまりにも離れすぎていると思えます。一昔前は自宅で最期を迎えるのが当前だったのに、現代では体験する場はおろか、考える事すら極端に減っているように思います。「その場になったら、どうしたら…」と不安な方も多い事でしょう。確かに「死」という言葉には絶望、恐怖などつらいことを連想させる意味を含むので、考えたくないと思うのは当然とも思います。
病は突然やってきます。多くの方はその現実を受け入れられず、恐怖や怒りを感じる人もいます。しかし、現実としっかり向き合っている人もいます。悩み苦しみながら自分らしく過ごす事を考える方も多いのです。
ある人は末期がんで身体の自由を奪われていました。にもかかわらず「こんな状態でも幸せと感じるのね」と笑顔で話していました。またある人は、趣味の手芸を病室で仕上げ、病院内で個展を開きました。個展を終え、間もなく旅立たれましたが、満足されていたに違いありません。
自分の運命を受け入れ、「旅行したい」と考える方は、少なくないようです。日々衰えていく体力、つらい症状、急変への不安など、多くの壁が立ちはだかり、その想いを実行するのは簡単ではありません。しかし、「最期になるかもしれない旅行」で幸せな時間がもてたなら、何と素晴らしいことでしょう。そして「今回で最期かもしれない旅行」を何度もして頂けたなら、これほど嬉しいことはないと思います。私はそんな旅行のお手伝いが出来たらと考えています。

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最期に十勝岳連峰を臨みたいという方がいらっしゃいました。

コメント(3件)
2009/5/1
chinon~シノン~ @ocn.ne.jp
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和みの風 さま
初めてコメントいたします。m(_ _)m
朝、このタイトルを見た時に『ぐっ。』と惹かれるものを感じました。
ワタシがこの『マイとかち』で去年最後のブログとしてあげたのは父の事でした。
父を通して、いろんな想いや頂いた感謝の気持ちを忘れないように、どこかに書き留めたかったんです。
父の職業は僧侶、いうなれば人の最期を送る仕事をしていたんです。その父が癌の宣告を受け、最後は延命治療をしないと決意し、お世話になったのがホスピスだったのです。
何となく話には聞いていた『ホスピス』という言葉。
父を通してホスピスという所に関わったのですが、たった16日間しかいなかった病棟で、どれだけ母もワタシもココロを救われたか分からない程、穏やかに父の最期を見送る事が出来ました。
(続く)
2009/5/1
chinon~シノン~ @ocn.ne.jp
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(続き・・・ 長くなってすいません)
そして、ホスピスという所に巡り合わなかったら、今こうして父のいないこの世を、ココロ穏やかに過ごせなかったと思います。
父には痛みをとる小さな機械のみで、いろんな機械は一切なく、更に点滴すらない。それらはすべて、『延命』につながるものであり、その機械がなかった事が、最期を穏やかに送らさせて頂いたのだと思い、ホスピスという所に感謝している次第です。
当時関わって下さった看護師様たちとは、父が居なくなってもお付き合いをさせて頂く事ができ、父のおかげだなぁ、と思ってます。
緩和ケアにお勤めしている方達はご苦労もとても多いと思いますが、延命治療をしないと決めた患者とその家族が、その看護師さまたちにどれだけ助けられているか・・・。
この場を借りて、
最期を迎えるお手伝い頂き、感謝しています。
ありがとうございます。
2009/5/1
和みの風 @plala.or.jp
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chinon~シノン~様
ぐっと来るコメントありがとうございました。
お父様がとても素晴らしい最期を迎えられたのが分かります。
緩和ケアで看護師にとって、
とても励みになるお言葉でした。
一看護師としてとても嬉しく思いましたよ。

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