ロバ日記

自宅で死ぬということ

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80代のある方が先日亡くなりました。
最期まで自宅で過ごし、
点滴1本することなく、
息を引き取りました。
自宅でなくなることが非常に難しくなったこの現在において、
とても尊厳のある最期を迎えられたと思っています。
それは、
その方が今まで過ごして来た人生そのものと
言っていいのかもしれません。
まわりを支えるご家族も、
ご本人の気持ちを十分に考えてのことだったと思います。
その方は、
ぎりぎりまで自分でごはんを食べ、
水を飲みました。
きっと、「点滴くらいすべきでは」と考える方も多いと思います。
その考えはとても自然なこと。
誰だって長生きしてほしいと考えるのですから。
でも、そうはしませんでした。
歩くことが難しくなっても、
好きな小説を読む事が出来、
たまには冗談を言って笑わせていたりするのです。
「とにかく苦しみを味あわせたくない」と願うご家族は、
自然な成り行きを見守りました。
そして、旅立たれました。
私は、ホスピスにいましたので、
何十人もの死を直面したことがあります。
しかし、これほどきれいな最期を見たことがありません。
食べられなくなったから点滴、
飲み込めなくなったから胃瘻、
と条件反射のように進んでしまう医療に対して、
「命の大切さ」を違った意味で示してくれたような気がします。
滅多に考えることはないとは思いますが、
誰でも必ず訪れます。
真剣に考える時があってもいいのではないかと、
最近とても強く思うのです。
ご冥福をお祈り致します。
コメント(4件)
2009/12/25
ヒデリン @ocn.ne.jp
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今日は!
医療従事を経験されていた内容の記述ですね。
ホスピスにおられたとのこと。
尊厳死がどのくらい浸透しているかは、別として
この「十勝」には、ホスピス・ケアなるものが
皆無と言っても過言ではないと思います。
しかしながら、ベッドの確保を含め医療機関にて
末路を送ることも容易ではない現実!
やはり、できれば畳の上で・・・
真摯に向き合ってくれる医者がいない現実。
まだ、十勝は医療砂漠といっても良いかと思えて
なりません。
2009/12/25
sakurako @ocn.ne.jp
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こんにちは
はじめまして
私も母を在宅で14年看させてもらい、やはり最期の時は病院でした。病気を一杯持っていました。在宅での点滴、訪問看護それを経ての決断でした。病院での看取り。そして私の癌。誰にでも訪れる最期の時をどの様な形で迎えられるか、迎えるか。私の日々の課題です。親の最期の時まで看る事ができたしあわせ・・その反面子供達には自分達の身を削ってまで、私達の最期の時の我が儘は言えないなー。今はそんなはかない世の中なのかなー!看て、看られてこれが1番の人生の学びだとは、思いますが。その方は幸せな最期でしたね。誰でもがそうであったら幸せですよね。いいお話でした。
2009/12/25
和みの風 @plala.or.jp
★”ヒデリンさん
畳の上で…、
という方多いと思っていましたが、
実はそうでもないようです。
高齢者の半数が在宅での最期を希望していないとか。
理由は他人に迷惑をかけるからと。
こういった話題は書きたいことが多すぎて、
なかなか整理できません。
ホスピスについては近々書こうかとは思っています。
色々考えさせられますね。
2009/12/25
和みの風 @plala.or.jp
★”sakurakoさん
14年ですか。
それは色々な事があったでしょうね。
私も仕事柄長く介護をされている方をよく見ますが、
本当に頭が下がります。
よく言いますが、
「死に様は生き様」。
この方を看とったご家族も話していました。
満足のいく最期を迎えるためには、
満足のいく生活を送らなくてはいけませんね。
そのために今日を、今をどう生きるか。
あまり固くならずに
自然体がいいのかもしれませんが。
ご自身も癌と。
無理せずご自愛下さいませ。

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